「大人になると、昔ほどゲームにワクワクする事がなくなった」という意見もよく目にします。

・ゲームが変わったのか、自分が変わったのか
確かに、自分も昔はのめり込むようにゲームをしていました。
新しいゲームソフトを買ってもらった時のワクワク感や昂揚感は今とは比べものにならなかったですし、その後しばらくは、学校から帰ってきては夕飯までゲームに熱中したものです。
今もゲームは好きだし、良いゲームを遊んでいる時はもちろん楽しいですが、あくまで趣味を趣味として遊ぶ程度の感覚になっている気がします。
ゲームが変わったのか、自分が変わったのか。
ほとんどの場合、後者だと思います。
主にロールプレイングゲームの話になりますが、ゲームにわくわくしていた子供時代と大人になった今では、ゲームに対する意識が大きく変わってしまいました。
「ゲーム内に無限の世界が広がっているように錯覚していた」子供が、大人になって「ゲーム内の世界が有限かつ基本的に全て手が届く範囲にあるという事を理解」してしまった。
ゲームが「人の手によって作られたプログラムである」という事を明確に理解してしまった。
それが全ての根源のような気がします。
子供時代も、ゲームが人によって作られたものであるという事実は認識していたのかもしれませんが、それでもゲームをプレイしている間はそれを強く意識する事のない純粋さのようなものがあった、というのが正しい言い方でしょうか。
大人になるにつれて必然的に見聞が深まり、子供の頃はゲームに没頭している間はゲームの事しか考えていなかった脳も成長して並列処理が得意になり、「これは作られたもの」だという事を常にどこかで理解しながらゲームをするようになってしまった。
私自身の事を例に挙げると、私は昔「ヒーロー戦記」というゲームを遊んでいました。
誕生日にスーパーファミコンを買ってもらうと同時に買ってもらった、スーファミで初めてのゲームだったんですが、当時ウルトラマンが大好きだった事もあり(今も懐かしさ的な意味で好きですが)、のめり込んでプレイしていました。

で、とあるダンジョンの外のマップの端っこに、侵入できない道路があったんです。
マップの外からマップの外へ繋がっていて、絶対侵入する事ができない道路。
私だけなのかもしれないですが、当時この道路に異様にワクワクしました。
当時の私は、そんなどうでもいい背景の道路に世界の広さを感じ、表現が難しいですが、「行けないけど、この先にもこの世界は続いてるんだ!」というような昂揚感を感じていたように思います。
今であれば、気にも留めないか、気に留めたとしても「どっかからここに通路が繋がっているのかな。でも、わざわざこんな意味のない通路を経由させてマップ繋げないよな…たぶん、特に意味の無い書き割りかな」って思う程度だと思います。
意識が違うと、ゲームの世界への触れ方が変わってきます。
ゲームの世界が手の届く範囲内にある有限でしかない事を意識してしまうと、「その世界の中で主人公を動かすプレイヤー」というマクロな視点でのプレイになりがちです。
ですが、その世界の物理的な限界を意識せずにいれば、その世界の中からのミクロな視点で世界に触れる事ができます。
つまり、ゲームの主人公と同じ視点に立てるという事です。
それによって世界はスケール感の大きさを感じさせ、「この先には何があるんだろう」「あそこに行ったらどうなるんだろう」という冒険心、わくわく感を感じさせるのだと思います。
・大人が再びゲームに熱中する為には
前述の通り、脳の成長やいろんな経験によってゲームへの触れ方はどうしても変わるものなので、プレイする側の問題を意識的に変えるのはなかなか難しいように思います。
なので、「大人が再び心から熱中するようなゲーム」としていくつか方向性を考えてみました。
1.ストーリー主導
思い返してみると、個人的に大人になってから一番ゲームにのめり込んで熱中したのは、ストーリー主導のゲームが多い気がします。
具体的に言えば、最近では「龍が如く6」「ニーア:オートマタ」でしょうか。

やはり映画にしろ、小説や漫画にしろ、先が気になるストーリーというのはぐっと引き込まれます。
ゲームでこれを言ってしまえば身も蓋もないですが、
「龍が如く」シリーズはゲーム的な要素もふんだんに盛り込みながらも、ストーリー主導のゲームとして有名ですし、「ニーアオートマタ」は、物語前半にあたる1週目、2週目は比較的通常のRPGという感じでしたが、物語後半に当たる3週目は怒涛のストーリー展開にサブクエストそっちのけで、一気にストーリーを進めてしまいました。
しかし、これは子供の頃に感じていた冒険心や世界の広さ、ワクワク感とはやはり違うんですよね。
ストーリーに熱中するというのは、前述のように映画でも小説でもできるわけです。
いや、もちろん「なら映画見ればいいじゃん」とはならないですよ。ストーリー主導のゲームに熱中した体験が、全く同じストーリーの映画を見れば同じように体験できるわけではないと思いますし。
2.ボリュームの暴力
ここからは、「子供の頃に感じていた冒険心や世界の広さ、ワクワク感」を体験できそうなゲームの方向性のお話です。
「ゲーム内の世界が有限かつ基本的に全て手が届く範囲にあるという事を理解」してしまうのが問題ならば、「全てにはとても手が届かない」ようなボリュームのゲームだったら良いのではないか、というとても単純なお話です。
画期的な方法でもなんでもないですが、これを実現するゲームというのもなかなかありません。
やはりゲームを作るにもコストがかかりますからね。
ゲーム会社としては、ある程度ゲームとして満足できるボリュームにすれば、それ以上むやみにマップを広げたりイベントを増やしたりすればそれだけコストがかかります。
このようなゲームに近い思想のゲームで言えば、少し前で言えば「oblivion」「fallout3、4」等のベセスダゲームが一番当てはまるかもしれません。
どちらもメインクエストを進めるだけでは訪れないロケーションが膨大にあります。恐らく2割程度にしかならないんじゃないでしょうか。
単純にマップの広さで言えば最近のゲームには遅れをとるようになっていますが、そこに配置された膨大なダンジョンや施設、イベントは未だにトップクラスではないでしょうか。
また、もっと最近で言えばswitchで発売された「ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド」が当てはまるかもしれません。

私はまだプレイできていないので、レビューやプレイした人の話を聞いた上での話でしかないですが、「このクオリティでこのボリュームはありえない(もちろんいい意味で)」という声を聞きます。
単純なマップの広さやイベントの多さに加えて、物理演算の効いた世界で木を切ったり、崖を登ったりという動作をはじめとする、「直感的に思い付いたことを実現できるだけの自由度」を有している点も大きなポイントでしょうか。
3.VR(バーチャルリアリティ)
個人的には、これが本命だと思います。
PSVRとして一般商品化まではたどり着いているものの、まだまだ生産の少なさもあって一般に普及しておらず、そのせいかまだ本格的な長編ゲームは出ていません。
コンシューマーレベルのタイトルでいえばバイオハザード7がありますが、あれは閉鎖空間でのアドベンチャーなので、「広い世界」「冒険」のような要素はありません。
既存の大作RPGのようなボリュームのRPGが全編VR対応で出てくれば、一気にゲームの次元が一つ上がるレベルの冒険感をもたらしてくれると思っています。
というのも、VRという技術が、物理的に自分を、文字通り主人公の"視点"に立たせてくれる技術に他ならないからです。
俯瞰の視点で見ていたが為に小さく感じていたスケール感を、強制的に1/1スケールの世界を感じさせてくれるんです。
ただの障害物でしかなかった壁の高さや、ただ主人公や他のキャラとの対比で大きく感じていた巨大なモンスターの本当の意味での巨大さをリアルに感じる事が出来る。
そんなゲームが遊べたら、再び心からゲームにのめり込む事ができるような気がします。
VRの普及度的にもうしばらく先になりそうですが…。
ゲーム界においてこれほどの技術革新は数十年に一度のレベルだと思いますし、一刻も早い普及と共に、インターフェースも含めてその精度・完成度を伸ばしてほしいと思います。
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